2018-10-09

執拗

ねばり強くしつこいこと。
自分の主張・態度をまげず、容易に相手に従わないこと。
現代人が勘違いしていることは
意思が強い=集団行動ができない
という事実だ。これが両立しできるという思い込みが社会全体を虻蜂取らずにしている。
考えほしい。「意思が強い」と言われ始まる起点は話者が相手に自分の意見を拒絶されることからはじまる。従順であれば聞き分けがいいとされて集団行動の模範になる。しかし意思が強いと言われるということは相手に従わないといえる。そして、数回のやり取りの結果、執拗という表現にかわるわけである。
日本では古来より、個々の意見を押し通すのはタブーとされているし、今でもその発想は変わっていない。なのに、表向き、やれ個人主義、やれ自己主張を強要しておかしくなっていることに気づいていない。
個々の意見を直接押し通すのはなく、謀を使って相手の口から自分の意見を共感させるように言われることに長けていた民族である。それは自己主張を騒ぎ立てる愚かな発想より、意見を伝播、実現させる高等な手段である。そのための活動を英語ではnegotiationとまでいえるのだが、そのスキルをおざなりにして、愚かな欧米発想をグローバルと勘違いして迎合することに呆れることしかでいないよ。

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