2018-06-04

習合

幾つかの教義などを取り合わせ折衷(せっちゅう)すること。
有名なのは神仏習合となる。
この発想は日本の好きな曖昧さの表れ。
Aでもあり、Bでもある。
この発想だと正解も間違いもないので、ある意味考えの平等が成り立つ。
しかしだ、定義や教えの重要なポイントは
何が違うか、何が正解かを明確にすること。
それをしないでいることが今の日本の決められない、結論がよくわからない
ということになり、物事が進まない、誰の責任、どう改善させるかがわからない。
誰も傷つかない平等では、物事は進まない。
それゆえ、日本はグローバルという言葉でその慣習を払拭させていることが見て取れる。
習合を支えてきた日本人の2000年近い歴史は気づかずになくなりつつあるのか?

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