五穀がゆたかにみのること。
人間の営みにおいて、幸せの源泉だったといえる。
とりわけ、農耕民族においては、、狩猟民族とて、豊穣状態は獲物が肥え増えるのだから謝肉祭の呼び水として幸せに感じるだろう。
現代社会、農耕、狩猟を一次産業とひとまとめ軽視し、多くの人は知的産業にシフトしている。それにより、豊穣な状態は収穫期ではなく、日々生産できるような科学的な施策を求められるし、それが当然になりつつある。
それを否定する気はないが、人間のもつ歳時感覚。
秋の収穫が豊穣になるように向こう一年の行動を考えてきた。
その感覚がただの時間的節目になっている状況は、果たして人間は自然的、地球的に問題ないのかなあってまた哲学的に考えてしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿