平気で人を殺傷するように気風が荒々しいこと。
この表現が現代でも使われるが、
実際問題、現代人のもつ他人を殺す雰囲気って過去が示す殺伐とは異なっている。
そもそも、他人を殺すという好意自身がおかしいというが
それは平和ボケの日本の思い上がりで、全世界的にみて日本の価値観は異様だ。
先進国においても、この死生観、、認識の甘さは、、
逆に危険認識力の低さにもつながっているだろう。
殺伐という表現が未だに使えるということは殺人という行為が
身近でなくなって等しいからで、言葉自身の衰退が起きているといえる。
殺伐という実体験的なものがなくなっているは
安全と思うか、他国、社会情勢に目耳をふさいでいるだけか、、
それは今後の日本の国際的地位がそれをものがたるだろうな。
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