これはただの迷信にすぎない。
釈迦の弟子である周利槃特の逸話がその風説に繋がっている。
かなしいかな、
茗荷のように
イメージでつけられた迷信はなかなか払しょくされない。
いくら科学的に立証されたとしても
迷信のほうが優先されてしまうのが巷というものだ。
茗荷のように
害がなく、アクセントになる食材にこの迷信はあまりにもと思う反面、
人の食に対する危機意識の現れを本能的に感じ
リスク回避する力は科学を超えるんだなあって思うこともある。
茗荷という食材をみるとこんなことを考えてしまうが、
実際問題、茗荷に意思があれば
「なんで種子を子孫反映もできずに、食われてしまうだ!」
という人間への恨みしかないんだろうなって苦笑してしまう。
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