2012-11-19

氷柱

氷柱と書いて、つらら という読みは難しく、そしてなんか抒情的な感じを受ける。
この漢字の熟語をあてる前から、つららと呼んでいたものを
後からこの熟語に充てることになったといえる。

既存の風土文化を尊重する思想で、
これはこれでいいものとする日本の価値観もあるが
ビジネスライクでものを見るとこれが不正、非効率の温床となっている。
抒情的、心情的、そして古来伝統の尊重は
生産性、効率化、画一という条件からは外れている。

日本文化の維持と
経済、技術のためにグローバル化という発想は
虻蜂取らずに今の実情をもたらしているといえる。

氷柱はつららという言葉を
氷柱は
ひょうちゅうで○で
つららはもう×という画一的な基準を定めてしまう。
それが真の意味でのグローバル化である。

そんな!っていう人もいるが
江戸弁を標準語として
方言を教科書から廃絶したからこそ
全国的に画一的な義務教育の実現ができているという事実があり、
そのおかげで、近年まで教育水準の高い国と言われていたのだ。

あいまいなところにところに趣きを尊重できるほど
今の日本にはゆとりはないという思いで
これからは少し既存の価値を整理すべき時期といえよう。

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