一心不乱に努力する事ことである。
ではなぜ、肉を使わない料理が、精進料理なのか?
答えは
仏門の修行の一環として、菜食主義を貫く努力をしている表れだからである。
となった場合、日本古来の仏教観は現代の欧米の思想とは相いれないことが多々ある。
仏門の努力の活動の多くは、非効率、無駄が多く、
その非効率、無駄から自分磨きをしているのだが、
欧米的にはその行動自体を否定することになる。
また、外国に行ってわかると思うが、
肉が主食であり、菜物、穀物系は副食扱いになるだから
菜食主義の考え方自体理解できないことになる。
だから、欧米人の観光において
精進料理は、大豆を肉に見立ているトリックアートの
奇異の視点で、見ていることになっている。
精進するという行為は
ある意味、自分を高める行為であるが、
必ずしも他人から賞賛されるものではないし、
無駄な行動、奇行であるみなされることでもある。
まーー、そういう風に見られることにも耐えることが
本当の意味での精進かもしれないが、
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