何の煩いもなく、くつろいで休むことをさす。
基本、現代人が安息を持つということはありえない。
もし、安息しているとしたら、それは仕事をしていないということだろう。
安息を持つということは責任を持たない状態であり、
それは社会において、必要のない存在である。
社会を構成するということは、いつも責任をもって緊張し続けることである。
だから、現代社会において安息はあるべきではないと思うが、、
どうやら、僕の思っていることは、この現代社会では通じなくなってきているように感じる。
無責任に安息を社会に求めていることが実に多い。
少し社会の箍が外れているような状態ではないだろうか、、
このまま進むと、
安息を求めるなら、いっそ真の意味での安息、、
命の安息を対価で示すことが、本当に必要な方向に向かっているのではないか
と感じることが漠然的だが、背筋が凍るような感覚を覚える。
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