2012-08-29
透過
透き通り、見渡せる状態。
形而上、形而下において透過について重きを持つことが多い。
・公明正大
・オープン
であることが評価される。
しかし、僕は透過の時代はもう終わっていると終わったと認識している。
透過できないこと
これがこの先10年以上の価値だと思う。
透過であることは、見渡せる、公明であるということが
現代人に錯覚を起させた。
見渡せるから、清い
オープンだから、誰でも
という思いを持ってしまうが、実際は個人の能力ではそんな簡単ではない。
見渡せても、見えていないことのほうが多い
オープンとはいえ、その事実は簡単なものではない
それを錯覚したうえ、
しまいには、できない自分を正当化して
もっと、見やすく
もっと、わかりやすいオープン
を求め始めて、結果、その透過させているものの価値を無効化してしまう。
経済の源泉である付加価値否定をしてしまうことが多々起きてきた。
付加価値なくして、経済なし。
わからない、できないからこそ、
人は他人と対価を支払いその価値をえる。
相手にはわからないけど価値があるということが評価軸へと変わる。
透過する=クリーンでもいいことでもない
という事実に気づいたもの勝ちの時期と言える。
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