信用しないこと。
信義がないこと。
要するに、対象者に対して気持ちが向かない状態。
そもそも論で言えば、自分以外に対して信じることがあるから
裏切りを思うわけだったり、いら立ちを覚える。
不信感を持つことは自己を意識すると同義だと思うが
こういうと哲学的に思われてしまう。
どうも人間は無駄に価値をつける動物のようだ。
他人を思うということに価値を感じたからこそ今の社会があるというが、
それゆえに自然破壊も永続的し続ける存在でもあるという背理も認めるべきなのに
そこは観ないことにするのはいかがなものか?
まー、人間を信じないからこそ見えている僕の眼だからこそか。。。
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