道、特にこみち。
道になるためには
その動線を誰かが使った経緯
その先に何があるか明確になっている
ことが必要である。
ただ、空間が開いている=道とは言えない。
アントニオ猪木の言葉が引用した
清沢哲夫の詩の「この道を行けばどうなるものか~」
にあるように、道になるかはその人が進んだ経緯がないとね。
逕路は誰にも知られていないかもしれないが
道である以上、誰かが通ったんだろうな。
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
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