心理的、社会科学的に読み取れないか、、
人間社会そのもの限界を。
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
金銭や物品などの財物を賭けて、偶然の勝負の勝敗を争うこと(ギャンブル)
日本では原則禁止となっている。
でもなんか思う。
公営ギャンブルはそれぞれの競技ごとに特別な法律が定められており、
収益を社会に還元することが義務付けられるという。
でもそれって、ただの営業活動と研究開発費じゃん。
なんか、それをギャンブルにしたいから、後付けになっているじゃん。
それに株式投資だって、ある意味ギャンブルでは。
いろいろと社会情勢とか企業成長に対してというが
そこに金銭をかけて人生を左右させることになるではないか?!
なんか、国家的に賭事をいいように利用させていないか?
パチンコだって、ある行政機関から天下りが取り仕切っているし、、、
自然や美術などのもつ本当の美しさを的確に見極め、味わうこと
なんか自然や美術を美しいと思うのは個人差があるような。
それがいいと周りにいうのはなんかエゴを感じる。
だって、この景観がきれいと訴えていても
そのエリアを開発地区で土地開発する計画がある以上
その景観の美しさより経済活動のほうが価値があると
みなした人、それに価値があると感じた人がそれなりにいたからだろう。
また、美術作品にも
それゴミじゃないの?
全くもって下手な筆致だ!
って思っても世界的に評価されている作品があったりする。
それがいいと思う庶民もいれば
その思い込みが洗脳でしかない!
って言い出すこともあり、審美とは?って思ってしまう。
心がけや行いが優れていて感心な様子や、態度が素直でおとなしい様子
神様が妙?
ではなく
神様の前でかしこまるように振る舞えの意味。
日本人は無宗教と言われたりするが
逆で八百万の神々を信心しているので
身近に神を感じ、それに敬いを持っている。
だから、神妙という言葉で身を正せという言い回しになる。
信教の意味が、一神教、もしくは特定の神々を信仰する
西洋的価値観を押し付けられての憲法下されているが
そもそも身の回りに神が宿る発想とそれへの感謝が日本古来の信仰観
だから、神道も仏教も共存できた。
どうも戦後の憲法の考え方が古来日本の思いと異なるのでは?
と思うと同時に、アメリカの隷属にいつまで従うのか
考えるべきでは?もうそろそろだよ
パクスアメリカーナの終焉は。
人間として踏み行うべき正しい道や、道徳の筋ミチのこと。
「道義に反する」 という表現があるが
それで他人を批判することと相手から
「道義に反する」 と言い返される。
道義は個々人の正義、倫理観であり、個々人それぞれの価値観でしかない。
それも国、文化、生活、そして、思想でいろいろと違う。
それゆえ、
自分の道義で行動することは
自己正当性を主張しても
それは他人からすればただの暴挙でしかない。
未成年の女性環境活動家が学校に行かずに
世界中の指導者にクレームをつけていること
金髪爺が自国、自分の道義に基づいて
他国、世界の秩序を乱して迷惑なこと
はそれあるべき道義、ただの暴挙って感じるのは
個々人の道義だろうな。
景気全般や個別商品の売れ行き、株式・商品市場における取引の活発さ
平成前後から、株式市場と巷の景気の活気が乖離していている。
会社が儲かっているのだから、社会への還元というか
景気良くなるのではって思っていたことが過去になってきている。
これはいろいろな要因があるが
~グローバル化
~会社が社員のものから株主のものに徹底されたこと
で今までは、会社を取り巻くステークホルダーを潤すことが求められたが
今では会社の所有者である株主、それも機関投資、外国資本への利益へと。
いくら頑張っても、稼いだ利益は
会社の所有者に貢がされることって
旧時代の奴隷制度とあまり変わらないのでは?
戦争の世界情勢といい
なんか、時代が退行していないか?!
世間に対する見た目や世間体という使い方もあれば、
数学的に
線分をある比率に分割する方法の一つで
線分の「内側」ではなく、線分を延長した「外側」の点を使って分割すること
でもあったりする。
こういう多義語は
文脈の中で使い分けるものなんで
今なんの話をしているかで類推するものとされる。
、、、される、、、であり、
なんか現代人って人の話を全く聞いていない勝手にしゃべり
自分の話を聞いていないと怒りだすバカが増えて困る。
とりわけ、支払い側という立場だと顕著なのはどうなのか?
日本人のお客様は神様の考え方が未だにあるが
欧米人の欲しいのならそっちから頼めという姿勢に
対応できていないではないかって思ってしまう。
社会や組織において、
若手とベテランの間に位置し、
中心となって活動する人や企業、物事の中間ランク
実は能力主義 、成果主義のせいでこの地位が薄れている。
デジタル的、0,1で評価するため
〇×になるため、中間は認められず。
なんか優秀な若手に高い報酬を払うために
中間職の給料を犠牲にしている構図だ。
本当に経営判断がバカなのか?
ベテランの卵は中堅だぞ。
そして、若手からのイノベーションって一発屋であり
そのイノベーションを伝播し続けるのは継続的対応する人材の運営力では?
最近多くなってきたのは
これまでの老舗の継続的サービスは薄れ
新たなサブスクリプションサービスを立ち上げて
そこに勧誘して値段を吊り上げて
うまくいかなくなるとこちらのことを考えずに
サービス終了となっている。
中堅のそれを維持しつづける努力をみとめないから
伝統的ビジネスという概念はなくなるのだろうな、、、、
道具を使わず頭の中で計算すること。
現社会において暗算の価値に賛否ある。
暗算が出来れること=頭の良さであり
仕事ができるとされる。
しかし、、そうではない評価もある。
人間のできる暗算など、ITディバイスによれば
たかが知れたレベルのことで誇れる才能ではない
身の回りにディバイスがあるのにそれを使わず
暗算することが無駄
それに、個人として暗算した結果を口にされても
それを他人と意思疎通できないのであれば
無駄な発言になるだけ
つまり、暗算ができることを主張すること自体
社会性が悪い評価になってきている。
暗算の価値が低くなったのは、、
暗算より社会に変えるバカの発言が強くなったことが
大きな問題に感じる。
社会をよくするためにバカに合わせるのか
社会をよくするためにバカを切り捨てるのか
なんか、方向性を見失ってないか、現代は。
深く掘り進めること。
、、という物理的な意味はもはやなく
物事を表面上だけでなく、深く調べたり、詳細に分析・検討したりすること
深堀しなくてはならないこと、、そこには
疑問、不安が見え隠れするからであり、そこに深堀を行うべきと判断される。
しかし、疑問、不安があるという時点で
深堀をどう進めるかの躊躇や恐れもあるだろう。
でも、そこが付加価値なんだろうな。
みんなが行わないことへの挑戦と結論を導くことが。
しかし、人間は他人には厳しいので
自分ではしないけど、他人が行うことには無理難題を平気で言い、
自分がいざやると出来ないときに、他人を批判するのは
人間のサガなのか?!