個人の才能というものは
個人ではなく、その才能を引き出した人のおかげである。
断言できる。
才能を出すのは自己啓蒙では決して無理であると。
なぜなら、才能というものは他者評価であり、
自画自賛では才能とは認められない社会なのだからである。
とはいえ、才能なんてものは無能の紙一重。
時代ともに評価は変わる。
抽象画をうまいといえる社会があるから、認められるピカソの絵画。
ドラクロアの的確な描写力よりデジタルカメラのほうが解像度が高いので
デジタルカメラ作成者をたたえることができようが
ドラクロアの描写力を未だ持って評する。
石川啄木が評価されたのは、死した後のこと。
個人が自己の才能の気づくのは
生前ではなく、死した後のほうであり
かつ、経済的な投機マネーの臭いがしてならない。
今、自分の才能が認められないと思う人が多いと思うが
それは才能というより、投機マネーの対象に現段階では値しないからであり、
そして、あなた自身がまだその才能に固執しているから
評価されないのかもしれないと理解してわりきったほうがいいと思う。
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