最近の日本において、どう間違ったのか、
肩書の存在、運用が形骸化されている。
はっきり言えば
名刺の1ラインだけになっていると言い切れる。
肩書は
・上下責任の所在認定
・社内の絶対的ランク付け
・給料体系
を象徴するものであり、この肩書きだけで
社内外の他人に簡潔に自分の存在意義を示すものである、、べきだが、、
・プロジェクト制による地位の乱立
・肩書きでの呼称を嫌う不敬文化の正当化
・能力主義
で責任の所在やその人物の存在意義が
社外どころか、社内でも全くわからなくなっている。
そんな状態で、正当な絶対的な査定、評価が可能なのか
会社を持つものとしていささか疑問に感じる。
会社は学生の学級会ではない。
たまたま、日直、班長になった存在では責任はとれない。
みんながんばろうという落としどころは存在しない。
組織内外に示すをつけるために、賞罰必須をとらなくては統治できない。
だから、肩書きによる責任とそれに伴う対価が求められるのである。
上記の思いをしっかり受け止めれば
真の社会人ならば、
必然的に肩書で呼び合うことになるはずである。
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