2010-12-29

真打

噺家の世界の、前座、二つ目、そして真打となる。
高座において、最後を務められるくらいのうまさ
しめ方を持っていると認められた存在とされる。

転じて、社会活動においてキーパーソンにみ当てはまるところで
使われたりしている、なじみのある表現となっている。

しかし、価値はインフレを導く。
真打とされるものが重宝されればそれるほど
その器がなくても真打にあげてしまい、
真打全体の質が下がることになる。

そうなると、真打の中の真打みたいな存在が出てくるだろう。
現在の噺家の世界では、真打の上は明確になく
名誉としての名人格、そして名跡の襲名がある。

これは噺家だけではなく、どんなところでもあり、
相撲も偉大なる関取で、大関が最高位だったのが
その上である横綱という存在を導いたり
京都の五山に相国寺をを追加したいからって
南禅寺を五山の上という地位に格上げしたりと。

すべての価値は市場原理なんだろうなと感じる。
結局、どんどん階層、階級のカテゴライズが陳腐化していくので
それ以上の地位を求めてしまい、今の地位が相対的に低下する。

逆に言えば、
新しい最高位が出てくる環境とは
現時点で活性化、社会的認知度が高い環境ということができる。

芸事も市場も
現在認知されている最高位という地位に就くことはゴールではなく
新しい最高位を創設することが永遠の命題かもしれない。

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