2010-12-31

医療

人の命と健康を守るための行為であるが、
本当にそれが社会的に正しいのだろうか?

幸せ=長生き、ではないと僕は確信している。
それに現代社会にいたるまでの長い年月、
人は死に際に美学を求める行為に勤しんでいた。
無駄な延命は命より大事な誇りへの、家系への汚名とされた。

それに医療の発達が逆に不幸を導く実証を経験をした。

父は
定期健康診断結果として医者の言われるまま、
肺がんになるから、たばこを辞め
元気な体作りのために、適度な運動を言われた。
それなのに、
ストレス性の胃がんが発症、健康体ゆえに
がんの進行が早くあっけなく死んだ。
医療を信じてこの結果である。
ある意味、夭折したと思える感はあるし、
所詮医療が発達しても無駄なものは無駄だと痛感した。

そして、父の兄である伯父は
高血圧、高脂血漿、すい臓病で
ことあるごとに入退院を繰り返しているのに
もう喜寿を迎えている。
その分の高額医療費で生活苦になっている。

生存権のもとに医療を発達させたが
人を幸せにしたのか?
その延命行為に膨大な費用をかけていることで
個人、社会を不幸にしているかもしれない事実を
命の価値という大義名分で割り切ることにいささか疑問を感じている。

新渡戸稲造たちが国際社会に説いた

武士道

が近年までの大義名分だった国家のあるべきすがたなのだろうか?

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