意気込みや意気揚々、そして生意気の意気である。
現代語でいえば、、やる気まんまん といえる。
現代は意気のレベルに熱が感じられなくなってきた。
熱い思いは
「なに興奮しているの?」
「べつにいいじゃん、どうでも」
と軽視される。
そして、生意気のレベルも
元来は
「僕にやらせてください!」
「小僧、そんな大きな仕事をやりたいなんて、生意気だぞ!」
という背伸びをして無理なことをやろうとして言われるものであったが
「あなた方が偉いんだから、やるんでしょ!」
「あいつの態度、生意気だ!」
目下なものが、目上に対して、見下すような振る舞いに対して
専ら使われるようになっている。
熱い意気はすでに消滅したと思う。
だから僕は思う。
熱く思う’意気’がある社会に戻したい。
そうすれば、
失敗だって、意気ゆえのことで、支援、反省、後始末を
それぞれの思いで実践することになる。
意気があるから、達成感だってある。
意気、、それは自らの意志の表れ。
社会をそうするために、
まずは会社、身の回りの組織でそれを求めていこうと決意している。
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