弱者とされるものたちを助けるために強権力が規制をした結果、
弱者がさらに悪化することは、歴史的に考えて既定事実のことである。
基本的に強権力が弱者を擁護すること自体問題である。
弱者は自らで弱者を脱却しない限り、弱者でありつづけるのだから。
大きな歴史的観点で見ても
武士の借金苦を解消するために幕府が出した徳政令。
そのために、以降豪商は武士に貸し出すことをためらい
余計、武士は貧窮した。
飢饉に備えての上米。
その上米を納付する名目で年貢がかさんでしまい、
農民は飢饉でなくても餓死しかねない状況に。
現代社会では、
貸金法の改正で
消費者金融を使えずに
闇金に手を出して、破産どころか、闇に葬られることもありうる自体に。
為政者は目に見えている事実への対応するのでは暗愚の君でしかない。
起きてしまっている事実を切り捨てて
新しい価値やこれから起きる被害を食い止めることに注力すべきである。
冷たいと思われるこの思想も
人間の出来ることは限られていて、今起きていることに対応するのは
自転車操業でいつまでたっても、改善されていないと思われるのであれば
自然淘汰の発想で、今の弱者を切り捨てて
別次元での規制を試みるのべきである。
織田信長が
腹をすかした兵に槍を
貧困した兵には馬を
という恩賞を与えていた。
それは、
腹を減らしている兵は自ら食事を求めて行動するが
次の戦の準備ができていない。
貧困していた兵は、武器を与えると換金してしまうので
あえて売れない馬を与え、馬を使って金策に走り回すことで、
馬術の訓練をという次の行動への布石にした。
この思想は一般庶民には理解できないし
もらってうれしいと思わないレベルもあるだろう。
しかし、僕からすればこのくらいの考えなくて
人を統率できようかって思う節を感じてならない。
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