身を保つ。
現代社会、多くの人間は他人から攻撃を受けているとされる。
しかし、それは本当に攻撃だろうか?
というよりも、
自分の保身という防衛行為そのものが
他人への攻撃行為である。
相手に攻撃しようという意思を持って行動していることは
近代国家の刑法で故意とみなされて罰せられる。
しかし、現在多くの人間は他人から権利、精神、肉体の観点で
攻撃を受けていると思っているが、その他人が罰せられない。
それは他人も自分の保身という防衛しているがためである。
戦っている2人の言い分は
相手を攻撃しているのではない。
自分の精神の保身のために排斥を行っているのだ。
自分は言われもなく攻撃を受けている。
自分には反撃する権利があって当然。
ということが現代社会だ。
大きな武力闘争だけならず、訴訟活動、議論、強いては
道でのすれ違いにおいても人は保身のために行動する。
保身について僕は否定しないし、
自分も保身をしている自覚はある。
だからこそ、
自分の保身が相手にどんな攻撃になっているかをも
自覚することを現代人に求めたい。
そして、そのことで自分の保身の攻撃の威力を自覚してほしい。
無自覚、自分の保身の正当性
そんなことはもう聞き飽きた。
保身でおきた事実をどう考え、そしてどう新しい価値創造につなげるか
考えることに注力すべきと強く思う。
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