アンケート等で不特定多数の意見を集約した指標として扱われる。
数字ゆえに説得力があるが、
僕が思うに、近年の統計は不特定多数が
特定操作された母数になっている気がしてならない。
それは集め方と質問の仕方でいくらでもなるということである。
例えば、
インターネットアンケートで
「一日のPC使用時間は?」
という質問をして、
アンケート回答者の全員が0時間と答えることがないことをもとに
「不作為抽出した全員の回答から国民全員PCをもっていると考えるべき」
という発表
食物の試供品をわたす代わりにアンケートに答える場合で
嫌いな食べ物に、試供品をあげることはないのに
「多くの人たちはこの食品に好感を持っています」
という結論
一見すると、アンケートの統計情報は正しく感じる。
数字の魔力とも言おうか。
でも、僕からすればそれは情報操作の傑物に他ならないと思う。
そもそも、統計をとって出てきた答えがアンケート集計者の思惑と違えば
その統計情報は多くの人たちに伝えられることはなく、
なかったことになるだけである。
統計を取られた人の多くはその統計情報を待ち遠しく思えっていることがないので
あまり、意識しないことをいいことにである。
そう考えると、多くのメディアで挙げている
統計結果をみるのであれば、
その大多数意見を見るのではなく
どんな母集団から吸い上げた偏見かをみるほうが
情報操作、思惑が見えて
かえって面白いかもしれない。
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