事実ではないこと。
しかし、事実とはなんだろうか?と思うことが多い。
歴史というものは過去に起きた事実とされるが
それ自体も本当かどうか怪しい。
・鎌倉幕府の成立年は近年 1192 1185 に訂正
・足利尊氏、武田信玄の教科書の肖像が、高師直、小田山信茂だった
など、どんどん覆っているのが、現状であり、
覆ることこそ、歴史学と開き直る歴史学者もいるくらいだ。
歴史に関わらず、
今もそうであるのは、噂である。
噂や伝聞はあくまでも、不実の領域なはずなのだが
高度情報化社会ゆえに噂=事実となってきている。
いや考え方がそもそも逆の時代かもしれない。
高い精度、多くの情報があればそれが事実であり、
実際に見たり、話したりをしたところで
当人の情報力では、
「見ている観点がおかしい」
「その話ではだまされている」
と事実を虚偽にしてしまう感がある。
事実とは
・目に見えるもの
・五感に伝わるもの
ではなく、
・精度の高い情報
が事実といえる。
実際に僕が僕である証明を
僕自身がしようとして、
行動をとったり、
話しかけたりすればするほど
現代社会では多くの人たちは虚偽に感じ、怪しまれるだろう。
IDカード、名刺、メール送受信
といった情報を示すことで
僕という存在が事実とみなされることが多い。
存在していても事実ではなく虚偽とみなされ、
情報こそが事実であるそんな時代なのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿