2010-11-26

手柄

ある意味、
手柄そのものは奪い合い。

自分がやった。
自分が追い詰めた。
自分のサポートがあってのこと
自分の管理能力のおかげ
自分の計画が正しかっただけのこと

本当にいくらでも手柄については自己主張できる。
そしてまったく同じプロセスで行われるのは責任転嫁である。

自分はやらされただけ
自分は最後までやっていないし、やるつもりはなかった
自分は言われたから支援しただけ
自分の管理を変えて勝手にやった
自分の計画にありえない話だ

基本人間は都合のいい動物であり、
上記の主張だけで、多くの時間を使って何も生み出さないことを容認できる。

手柄とか責任とは僕にとってはどうでもいい。
というより、統制していれば
そんな主張をする必要がない。
役割を明確にしてその役割どおりの行いの結果が
実績であり、手柄という概念は
観念的なものでしかなく、評価対象にすべきではないと考えている。

手柄に群がるものは
功名心、実力主義というものは
部分最適であり、決して次につながるものではない。

魚が取れたと騒ぐより
魚を多く取る漁法、道具を発明し、それを実践したことを
役割の実績とみなすほうが長期的、そして恒久的なモチベーションの維持につながるはずである。

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