2010-11-30

講義

上場企業の勉強会に数度、
若手に対しては頻度よく、講義を行ってきた。
それによってわかってきたことは
大学の講義の大半は全く講義の意味になっていないということを。

講義において
受講される人たちの最大多数の目的は何か?
講義を行う人の意見を聞くことという発想なのは
愚の骨頂であり、大体の大学の講義が
学会という閉鎖環境の歪んだ価値観で行われている。

受講目的はずばり、
この機に自分の生き方への変化、変革の契機にしたい。
と言い切れる。
貴重な時間を受講するのだから
その時間では推し量れない成果を出したいものである。

講義を行う側は少なからず、
その意識をもって講壇に立つべきであり、
自分の自慢話、研究結果などはどうでもいいというくらいの気概が求められる。

無数の受講者の全員の目的なんてという言い訳も意味がない。
そんなことは、講義を行うと決めた際に
その講義の趣旨やターゲットを宣言することから
講義活動は始まっていると思うべきなのだから。
募るべき対象を特定しない講義になぜ参加するのかわからないくらいだ。

また講義中に受講生に問い、その回答レベルで話し内容を変えたり
十分な質疑応答時間を見積もっての時間配分も準備計画に必要だ。

その覚悟のない講義は行う必要も受講する価値もないのだが
この事実は大衆にはなかなかわからないようだ。

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