操り人形のように扱われるということ。
好ましくない表現で使用される言葉だし、
傀儡になっている存在に同情、哀れみを感じさせる。
しかし、それはどうかと思う。
傀儡になるべくしてなってしまったのではないだろうか!
傀儡になるということは
その当人の持つべきものが能力とマッチしていない状況ではないだろうか?
・先祖からの血統
・引き継いだ財産
・あまりにも大きな決定権限
はっきり言えば、その当人が持つべきではないものだったのである。
本来であれば、その当人に資質がないのだから
取り上げて最適化させるのが、社会システムなのだが、
その当人への配慮から、無資格だが能力のある人間が代行してあげる。
それによって得た結果を当人に帰属させてあげているのである。
それは代行行為なのだが、無自覚、無能である当人や関係者が
その行為に自覚がなく、騒ぐから傀儡と認識されてしまうのが世の常である。
実際問題、歴史上、傀儡にさせられた当人が仮に親政、当人実行をしていたら
結果無残な結末になっていただろう。
傀儡でかわいそうって思われるか、
馬鹿なやつのためになんで俺たちが苦労しなくてはならないのか、
は本当に紙一重でしかないのである。
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