2010-08-18

信義

嘘の許される範囲と解すべきだろう。
いかにも、信義という言葉を正当なきれいな言葉と思っていても、
信義という表現が使われている以上、
現実社会に存在が確認できていなく、
それの事実をいかに存在しているかのように見せる嘘を突き通せるかが
信義の大きさだといえる。

信義という現時点における嘘を
・今までの実績
・今回の存在させるまでの実現可能性
等の担保行為によって、ありえない価値を見出して信用してあげるのである。

「嘘をつくことは悪いことです。」
「相手からの信用を得ましょう。」
市場社会では無理と思うべきである。

現時点であり得ない虚構をいかに実現させるか
そのために、見えないものを見えるようにすることは
ある意味、だましているという認識をもつべきであり、
そのだましているという自覚、自戒の念をもって接することが
これからの実現させるための原動力、そしてサービス品質の根拠になるのではと感じる。

市場は性悪説。
だからこそ、自らが悪、そして他人も悪であると思えば
信用の意味が互いが互いを存続させるための必要悪と感じてくると思う。

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