2010-08-09

見切

なんとなく、相手を言い当ててしまう。
特に
本人がかたくなに否定しているが事実なことほど言い当ててしまう。

動物は元来、身を隠すことを本能としている。
外敵から捕食されないように
獲物に気付かれないように
そして人間は、本心を見透かされないようにと。
その上で隠しきれず身を晒した場合は、、まな板の鯉状態になる。

人間なんてものは、えてして
自らが思っている自分と社会から見られている自分に大きな差異がある。
その事実を知らずも、知っていてもなお
自分の思っている自分像を肯定しようとする。
これはアイデンティティーの尊厳、、人間ゆえの自己防衛ともいえる。
自分が自分自身を知らないということはありえてはいけないから。

多くの場合はかたくなに社会からの自分を否定し続けるが
事実立証だけでなく、その事実に基づく行動予測が当たってしまうと
隠し切れずに、開き直りのまな板の鯉状態になる。

僕からすれば、
相手のアイデンティティーの尊厳なんてどうでもいい。
相手のアイデンティティーとは、社会への防御壁でしかなく、
相手を見切り、
相手の本来の気質、特性、そして、その自覚を目覚めさせたほうが、
アイデンティティーが防御壁ではなく、閉じこもっていた殻であり、
気付かなかった可能性を手に入れると思う。

見切られることへの不満をもたれることに対して
見切ってもらったことへの感謝もあるではないかって思うのだが
多くの人間はただ、不満に感じ、可能性を広げない。

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