2010-08-03

求道

書家の大家の文字が読めるか?
印象派の絵に共感できるか?
ロックの大御所の歌詞がちゃんと聞こえるか?

道を求めると庶民に理解できなくなるといえる。
もっと言ってしまえば、それが
文字
絵画
音楽
で評価すべきものなのか?むしろ下手ではないか!
って思ってしまうものもある。

はっきり言えば、
下手と思っていいのではないか。
求道は、はだかの王様である。
自分たちの世界でそれを言いと思い込んだ結果の内容であり
それが一般受け、市場価値に繋がるかは別問題である。
好きな人が好きであればいいのであって、
それを無理にわかろうとせず、
それを下手と思う感性も重要である。

それに上記の内容もそもそもそこから来ている。

きれいに書くという感性にとらわれて、自分の文字を書いているのか?
サロンで評価される絵画だけが絵なのか?
クラシックだけが評価される音楽ではないだろう!

既成概念に対しての挑戦がその求道を導いている。
決して評価されることはない世界だったのはずなのなのだが、、

それを賛同する評論家、それで一儲けする市場経済が
求道を大衆に、一般化を求めてくる。
多くの大衆に指示されたほうが、
発言権の確立、市場の拡大に繋がるから、、、
本来の求道者と評価者の価値観はづれている。

大衆に下手と思われても求道者はあえていいと思われていいと思っているだが、
それがうまいという評価者にゆがめられてきているといえよう。

市場社会の評価価値なんてものは
思い込ませるだけだと確信してならない。

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