犯罪を起こさないように、おきないように互いに注意しあおう。
これって、当たり前になっているけど
実際問題、「他人を見たら泥棒と思え」を隠喩しているに過ぎない。
人を統べるものの論理からすると
防犯を実現させる方法はこんな曖昧なものではない。
大きく2つで
<当該行為を犯罪とみなさなければいい>
<当該行為をする概念を民衆から奪えばいい>
に尽きる。
極論すぎて、多くの人は理解に苦しむだろうが実際に
そうなっている。
犯罪とみなさなければいいということだが、
古来日本、現イスラムでは未婚の娘が肌を人前にさらすのは罪で罰せいられた。
しかし、今の日本人女性はそれを罪とは到底思わないだろう。
社会や国家がそれを罪とみなさなくなったからだ。
犯罪概念もそうだ。
サイバーテロ活動は一般購買できるPCレベルで容易にできる。
しかし、PCでそういう活動をしている人は少ない。
概念がないからだ。
犯罪を防ぐというから、多くの人が犯罪ということを理解してしまう。
知ることなくして行為なし。
根本的に犯罪なんて言うもの、人間の思い込み。
人間外の生物からすれば
人間ほど重犯罪なものはいないわけである。
犯罪を防ぐという発想自体がエゴである。
防犯ではなく、
自分の思い込みをどう他人に押し付ける
もしくはさせないようにさせるか
とても恐ろしい支配思想の自覚は庶民レベルにはないだろうけど。
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