正当とは何だろうか?
道理になっている、正しいというが
正しいと言い切れること自体が悪意に満ちていると感じる。
例えば、正しいと思われることを厳格に行っている人は
周りから、「あの人は固い、融通が利かない」と正当という評価とは
かけ離れた評価をうける。
またかたくなに既存の価値観を守り続けている人に対して、
大衆の民意と言うことで、その既存の価値観を悪意とみなされることも
多々見受けられる。
すべての人間の心になる正しさが
正当の根拠というが、文化、思想、宗教、教育、言語、に少しでも相違があれば、
その正しさは十人十色となる。
命の大切さで捕鯨を反対している団体の常食が牛であることに
僕の中では全く正当性を感じないが、彼らは確固たる正当性を主張している。
正当であること、
それは悪意に満々と満ちた自信であるといえる。
逆にいえば、自信がないものには正当と言い切れる根拠はない。
それが、現代社会の正当と言えるだろう。
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