2009-12-28

電脳

久しく聞かなくなった言葉といえる。
ほんの数年前まではかなりメディア等に乱舞して言葉なのだが、

そもそもこの言葉は、日本語ではない
中国語のコンピュータという意味である。
日本人は面白いもので
コンピュータを表現する言葉はいくつもある。
・コンピュータ
・computer
・計算機
・電脳
・マイコン
・パソコン
と数多の表現をもっている。
一つの事象にいくつもの表現をあてることに寛容な人種である。

この事実はある意味、+と-をもっている。
コンピュータにたいして、多くの表現を許すから
機能が異なっていても
「あれもコンピュータ」
「それも電脳って言えなくもない」
ということで、多くの事象を同一基準で並べることがその特徴の組み合わせで
新しい価値観を生み出せる。いわゆる加工行為が得意である。
しかし、その反面物事を一義で捉えられないために
組織内で決まった認識共有や方向性を固定できないので
論理性、研究方向性は定まらない。
ゆえに、加工をする原材料的な発見は皆無に等しい。

電脳やコンピュータという言葉で解ると思うが
自国発祥の概念ではなく、他国からのもの受け入れて
それを自国で加工している。
でもそれにより、加工の結果、その分野でトップシェアを取れるのも
日本の強みである。

日本いや自分自身の強みの多くが
誰かが作ったものを加工することに優れている
という評価を受けて、誰かが存在しないと加工もできないと
揶揄されることもあるだろう。
しかし、その加工がコンピュータ、電脳と言われていた
庶民からちょっと離れていた発見、発明を
身近なものにする価値観の創設になっているだから、
ある意味、加工は第二の民意による発明といえると感じる。

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