存在を点であるとした場合、その点が相対的にどこに位置するかを
数字の組み合わせ等で示すもの。
人間は自分の地理的位置は建造物等をもとに特定するのに対して、
社会的位置の位置づけは、社会だけに他人との関係で行う。
あたかも、それは自分の存在を座標とみなしての位置づけともいえる。
人間の多くはその座標=その人になることが多い。
・お父さん
・○○課長
・××に住んでいるだんなさん
と呼ばれることに多くの人間は納得しているが、
それは、そう呼んでいる人間からみた座標にすぎないとも言い切れる。
本来ならば、姓名をもつ存在がその人そのものなのだが、
その呼称をせず、あえて自分からみた存在定義で呼びかける。
これこそ、社会生活の表れと言える。
言葉を持たない動物の行動を人間が解釈するとき
その個体の集団における役割、座標を導ければ
その生物は社会性を持っていると認識している。
人間からみて、社会性なのか
人間がその自然の営みを社会性とみなしているのか
は哲学的になるので言及はしないが、
他の個体との関係、距離感で自分の座標を認識するしているかどうかを
人間は強く意識する。
座標という言葉で難しく感じさせてしまっているが
孤独や責任というものは、
他者との依存、距離によって心情が動く
それが自分の属する他人からの座標そのものといえる。
寂しさ、プレッシャーも他人がいればこその感情ってことだ。
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