畦とは水田の中の泥土を盛って、水が外に漏れないようにしたもの
その盛り土の上は作業用の農道としても使うので畦道という。
そういう畦道だから格好の隠喩の対象になりやすい。
・物事の曖昧な境界線
・道ではない道
・わけ隔てるものであるのに、その存在が互いをつなげているもの
といろいろな意味で使われる。
とりわけ中庸を好む日本人は畦道のような存在を容認どころか憧れる。
しかし、農耕民族でなく、Yes or No が重視される多くの民族には
この発想なかなか通じない。
通じないから、今までの日本はそのような谷間ビジネスで活躍できたと思う。
ある意味、日本は畦道ビジネスモデルといえよう。
もっとも、現代人はその畦道の存在認識も暗喩の意味も薄れてしまっているので
中庸を理解できないのに、Yes or No を決められない
という状態、、、畦というより、泥山の存在になっていて、嘆かわしいのだが、、
0 件のコメント:
コメントを投稿