省エネ、ECOの流行で、
低燃費
超時間駆動
少ないエネルギーで多く活躍を求めれることが実に多い。
でもこれはこれで、自分たちの首を絞めている暗喩でもある。
「機械ならこんな少ないラーニングコストですむのに、、君らは、、」
「機械の稼働時間が伸びているのに、君らはなぜ仕事をしないの?」
人間の多くは機械を使う側の論理で、見てるだろうけど
その機械と同じ視点で、労働者、作業者を見てしまっているところもある。
自分たちが
・給料が少ない、
・対価に見合わない
と思っている視点もあれば
「機械の進化に、それに関わる人間のコストが高すぎる」
「機械より使えない人間はいらない」
と思われているフシもある。
モノの駆動の進化に伴い
人の稼働の価値が低下する
これは自明の理である。
人の稼働は、駆動と同じレベルではなく
発想、考察、熟練と
世に言う、アタマ、ウデを使うものに昇華できないと
機械に駆逐されて当然な社会になっている。
昭和初期の漫画にあった
「機械に支配された社会」、、
自覚の問題だが、この駆動状況からして
すでにそうなっている言い切れるくらいと言えないか?
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