「人工的に作られた竹林」
この表現が誤っていると気づいている日本人は多くないだろう。
林:人為的に作られた樹木の集合域
森:自然発生的に成り立っている群生
であり、竹林という言葉だけで上記の「人工的」の意味を含んでいる。
この事実は、
現代人の多くが林業から遠ざかっているという事実と
熟語成立の語源を学ばない事実と
2つの容認が重なっている結果である。
高度サービス事業に産業構造を遷移させたゆえに
自然とされる、生態系からの乖離
ITの発達による読み書きの自動処理による覚える理由付けの形骸化
を導いている。
この事実に対して、
僕個人としては、ものごとの移り変わりを理解するために語源は知っておきたいと強く意識しているが、
社会全体視をすれば、移り変わりに、「どうでもいいこと」という価値を与え
そして、知っていることが必ずしも評価されないことも。
しかし、教育やら学習やら騒いでいても、
結局、物事の本質、経緯を理解しない知識や発想は
現実社会では役に立たないし、
その末路が現代の付加価値と思い込んでいる蛇足なものの氾濫と思っている。
「木を見て森を見ず」
応用して
「木々も林も森も見分けられない」
ような眼力に本質ありきの付加価値の定義ができようか。
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