格差問題と騒がれているが、
一昔前に、能力主義偏重した当然の結果と思っている。
能力主義はできるできないということで
差をつけるのだから、格差が起きなくてはならない。
それを格差社会というのは何ともおかしい論理と思っている。
まして、社会主義の思想より資本主義の思想が正しいと言わんばかりに
経済がなっている以上、格差の推奨を促しているとしか見えないのに、、
社会の潮流に対して、アンチテーゼのごとく新たな波が立つのは
歴史上当たり前だが、現状起きている格差において、弱者、負け組を助けるために
強者、勝ち組が生贄になるのは、社会主義国でおこった
「どうせ、がんばっても無駄、むしろ他人がやったものをもらうことのほうが賢い生き方」
という社会後退を招きかねない。
冷たいと思われようが、無駄に弱者を助ける論理は
将来のためにならないし、格差があるが、機会は平等という社会として
弱者制裁は抑止効果、上昇志向の礎としても重要だと言いたい。
将来、未来の子供たちのためというならば、
現代において、
格差ということを目の当たりにして
上昇志向を促すために結果的に
犠牲にならなくてはならない存在を必要悪として認めることが
大人ではないだろうか?
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