2011-11-24

自主

社会全体として、主体的、自主性がなくなった反面、
批判する行為だけは蔓延している。

些細なことだが、
遊びや会の企画をする人は減っているのに、
その企画を批判する人が多いこと多いこと。

遊びや会に声をかけてもらうことに対して
「わざわざ来てやったんだ!」という
尊厳な態度だからだとこそ、平気で企画を批判できるようだが、
実際に企画する側に回ると、、、チープな発想で
批判されると逆切れを起こす始末。

そんな状態だから、自主的に行動することへのリスクが高い現状に
自主性の萎縮が蔓延しているのだと思う。

時に今は、個人主義、自己責任である以上
国外では、自主性がないものは淘汰される社会になりつつある。
いっそ、自主性のないものから搾取を
批判だけ代替案のないものには処罰を
という強制的手段で社会的変革をすべきで、
そうしないと淘汰の波に太刀打ちできない体質からは脱却できないだろう。

自主性を強制するということは論理矛盾なのだが
そもそも、日本人は子供のころから
「自分の将来のために、宿題をしないさい」
と言わる続けて、自主学習を強制されてきた人民なのだから
そこに矛盾を感じるほど、強い抵抗感はないだろうといえるだろう。

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