sectionalism による分業の末路は無自覚だといえる。
もっと言えば、庶民レベルが専門、職人性を求めてしまうと
結果的に自分自身を自覚できなくなる。
現代人は他人に対して、少しでもできる人への依存心が高く
「そこまでできるなら、あれもできて当然だ!」
と平気で言う。
しかし、いざ自分になると
「自分はこれであり、それは全く違う」
といい切り分けてしまう。
旧来のマニュファクチャー、職人工芸の時代だと
専門性、分業ができていないために
結果的にすべての工程や依頼窓口がひとつで
自分がやるしかないという自覚があった。
分業による効率化、
専門性による自己の付加価値の追求、
はっきりいうと、この工程に入っている存在は
プロフェッショナルとしては失格といえる、、いやプロではなくマシーンである。
この工程において、決められた命令をこなすのであれば
機械のほうが安く、正確だ。
言われたことを自分の範囲内でしか処理できない存在が多い現代社会。
どっかの漫画、アニメではないが、
人間である必要がなく、機械に置き換えてしまっても
なんら問題なく、、、いやかえっていいかもと強く感じる。
自分の存在意義を自分自身で自覚できる存在になる努力が
今の社会ではとても重要。
この先にくる自然淘汰の波に立ち向かうためには、強く感じてほしい。
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