2011-11-22

似合

僕個人の見解としては
他人がその行為、ものに似合うとどうかを評することは愚行と思っている。
それを評した時点、その人のセンスそのものが最低に位置づけられるからだ。

似合うかどうかより、
その行為、ものを有することができるということがその人の能力といえよう。
それを手にする勇気、財力、価値観を有しているからだ。

対して、
「あいつにあれは似合わない」
と発する時点で、その人は負けである。
似合うとかいう前に、その人は有していない以上、
口にすべきではないといえる。

現代先進国の人は、新興国の人たちが稼いで高い買い物をした際に
「発展途上国のくせに、、」
と口にすることが多いが、
それは、新興国に負けている表れである。
彼らはその買い物に適する勇気と財を得たので、
それを有することが、似合うのである。

現代の先進国ではなく、
人昔前の日本が、欧州の国々に言われてたことと同じでその繰り返しを
今度は日本がアジアの各国にしているに過ぎないのである。

それだけ、
新興国が似合うものを身に着けるように
なってきたという事実をみとめ
自分らの立ち位置を正しく理解しなくてはならない。

でも、うちの愚弟もそうなんだが、
自らの財力もないくせに
「自分には、こういうものが似合うから、買わなくてはならない」
と言って、無駄に借金や必要性もない見栄のために行うこと自体
市場社会に生きることが似合わないという根本自覚がないことが不思議でならない。

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