公平で偏っていないこと
というが、公正なことって現実問題ありえないし、
ありえてはいけないといえる。
公正取引委員会という組織が
独占禁止法を掲げて活動してきたことは既に過去のものといえる。
日本国内での独占による市場支配を
公正の名のもとに取り締まってきたが、
国際的に考えれば、日本国内では1社でも太刀打ちできない市場になり、
国内独占という公正基準は全く意味がない。
韓国やフランスは国をあげて、一社に市場独占をさせて
国際社会を戦おうとしているのだから、日本の公正は全く持って意味をなさない。
また、市場取引も公正ではない、
お得意様という日本語あるように
特定懇意の人に向けての特別仕様の扱いは当然である。
英語でいえば、Customizing という言葉があるように
一般顧客と分けている。
公の正しさというものは、
人間それぞれの正義が認められる現代社会では
存在しなくなっている。
公正を維持する努力を高らかにいうより、
自分の関わる人々を特別視することをみんながするようになれば
公正ではなくとも、精神的安寧が導けるといえる。
逆に正しさを掲げすぎると、相手への嫌悪を導き
社会的不和を導きかねない。
正しさも求めること、その行為こそ相手から悪意と捉えられるものかもしれない。
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