身形、みだしなみを注意とかいう。
しかし、本当にどいうものが正しいのだろうか?
現在社会において、
それは見た目の清潔感ではなく、
発言の強さそれだけではないだろうか?
例えば、無精髭、
一昔前であれば、
不潔の象徴であり、父の世代ではビジネスにおいては決して許されなかった。
しかし、イタリア系のファッションの台頭により
無精髭をおしゃれと言い切れることになる。
逆に保守的な正装をしている人に
ファッションセンスがないと言い切る人もいる。
価値観が変わったという人もいるが、そうではない。
例えば、高級な時計をしているがいれば、
社会的、組織的に強い人であれば
「おしゃれ」といわれるが
そうではない人がすると
「似合わない」といわれるだけだ。
身形、みだしなみ、は現代社会においては
清潔さ、かんじのよさではない。
「俺はコメントするな」という強さ、気高さを押し付けられるかどうかである。
根本的、歴史的には
任侠、マフィアの傾いた身形に憧れたことがファッションの根底であるから
現代社会は原点回帰になったというべきか。
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