2011-06-27

利便

都合がいいこと、、
使う側、使われる側ともに言えるのだが、
利便性の追求は矛盾を抱えている事実を多くの人は見失っている。

利便性、、つまり便利になればという思いは
面倒だから、自動化、シームレス化を念頭に考える。
それを実現させたのが、現代社会だが、
その利便が、人の自由、責任を奪っている。

例えば、
便利を求めて、包括委任をすることが多い、
業務のアウトソーシングなんて大きな話だけではなく、
家電も一社に統一化させたりすることは多くの家庭でも見受けられる。
そうすることで、機能の連携、問い合わせ窓口の一元化、が実現できる。

しかし、それはうまくいっているときであり、
利便性の背理は、障害連鎖、独占による選択の不自由があげられる。

独占のための言い値に耐えきれず、
異なる選択肢を選ぼうとすると、連携を理由にその選択を選ばせないどころか、
連携の一つが障害を起こすと、つながっているすべてのことが機能しなくなる。

利便性を前提に生活活動を考えている現代社会では
出来なかった場合の対応には頭が回らなく、生活に支障をきたすのが常である。

利便性とは、ある意味、自分の生活を人質に取られた代価かもしれない。

まるで、おとぎ話や漫画に出てくる
契約者に心臓を渡したおかげで、
契約者が生きている間は、不死身になっているがごとく設定だ。

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