なんともあいまいかつ卑怯な言葉ではないか?
健全の定義は
考え方や行動が偏らず、調和が取れていること
となっているが、こんなことが成り立つだろうか?
学生時代に
健全な肉体に健全な精神が宿る
とか言っていたりしていたが、
健全な肉体ってなんだ?
健全な精神って今の成人、社会人はどうなんだ?
まして、顧客志向やカスタマイズ展開っていうことは
個人主義に偏っている証拠であり、
健全の定義と大きく異なるが、それが現在の有りようである。
身近な社会事象を挙げれば
学校教育で、健全な男女交際とか騒ぎ、PTAが無駄に活躍しまくった結果が
現在のソリタリー、晩婚化、少子化の一因になっているという自覚はあるのだろうか?
健全という大義名分のような言葉が今の社会を苦しめているのだが、
その事実とつけは、引き起こした者たちに自覚がないときているから、
日本の因果律の論証は困ったものだ。。。
これこそ責任が健全ではないといいたい。
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