人が予測しない奇抜な謀とされる。
しかし、僕の場合、多くのことが奇策に類になる。
人が予測しないというより、
人の常識がなぜ常識が解らないゆえかもしれない。
人間は常識、日常を肯定して
一種の固定観念にとらわれていると思う。
それゆえ、その固定観念があるからこそ
奇策ということが生まれるといえる。
固定観念からはずれても
受け入れる行為は奇策であり
受け入れられないものは卑怯といわれることになる。
固定観念を肯定する前提が
実は人間の発想力、切り口を閉ざしている’だけ’であり、
奇策というものは気づきがあるかないかとしか思えないのが
僕の思考なのだが、この思考自身も奇策の域なのか??
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