2011-04-21

鍛造

金属を叩き、形にしていく。
鍛造という行為は、限りなく破壊的な様子で進められることになるが、
その行為の先には、とても研ぎ澄まされ、堅固な形状が生まれる。
鍛造する行為は物事の本質といる。
破壊的行為により形状が研ぎ澄まされていくことで価値が高まる。
いろいろな角度から打ち叩かれて、、、
物によっては、砕けてしまい
あるものは、ふたつに割れてしまったり、、、
そこで鍛造に耐えた金属が職人のもとから市場に出て行く。

砕けたもの、二つに割れたものは再度溶解されて
チャンスをえることになる。

鍛造行為に耐えたものが有価値である。
途中で挫折したものは、
原型をとどめることなく、溶かされて一から出直しになる。

現代社会の温情主義が
途中で挫折したものにチャンスを与えることが多いが
そのチャンスは出直しであるべきだと思う。
砕けたものをいくら叩いても、強度が低下する一方である。
割れたものを強引にくっつけても、そこからまた割れ出すことは明確である。
今までの努力をたたえることはより
融解して、一から再構成して真の価値を得ることが重要と思う。

破壊的に叩く鍛造行為は、
結果として、壊れない造形物を作り上げるという
起因と結果が矛盾にも似た帰着を示すのはとても面白い。

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