論理の通俗な表現。
対して、より卑下した表現に、「屁理屈」という言葉がある。
論理
理屈
屁理屈
の使い分けはどうすればいいのだろうか?
答えは簡単。
そして、自分以外には通じないことである。
自分の言い分は、論理
自分にとって許していい言い分、理屈
自分が受け入れがたい言い分、屁理屈
だから、自分と他人の定義は異なることになる。
これでは、他人とコミュニケーションをとれないではないか?
って思うかもしれないが、コミュニケーション活動の根本は
自分の論理を他人の理屈に合わせてもらうようにする活動そのものということを理解しなくては。
他人とコミュニケーションが取れないということは
自分の論理が他人には屁理屈に感じているということに他ならない。
基本、自分の論理は相手に当てはまらないかもしれないという前提で相手と接すること
それがコミュニケーション活動の始まりであり、
通じない相手に通じるようにアクションすることもコミュニケーション活動の一端である。
所詮、自分の論理であるのだからなかなか理屈として伝わらないだろう。
「コミュニケーションよくやっていこう」
というより
「俺の定義に従え」
ということのほうが、理屈としての理解はあると思う。
納得するかどうか、、あまり重要ではないと現代社会は言い切れるし。
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