具体的、抽象的に使用される言葉。
本当に頭の内部で起きている痛みもあれば、
自分の周りで起きている多くの不利益な状況にも使用される。
頭が痛い、
という表現は機械的に言えば、
自分にかけられたオーバーロードな状態であり、
平常心で処理ができないということである。
そして、この事象は他人からすればファントムペイン(幻肢痛)を導くことになる。
ただ思うのだが、
頭痛なき行動ってことは、
リスクもなければ、喜びもないということに感じる。
何かをして、何かをえるためにはそれ相当のものがあるべきで、
その代償が、悩みからの頭痛で済むのであれば
それもまた受け入れるべきものではないかと思う。
本当の頭痛(クモ膜下~等)の事象は本当に命に関わる。
それこそ、頭痛という言葉でいいと思うし、
その言葉を聞いて即時対応が求めれる。
対して、悩みレベルに頭痛という表現を使うのは
現在の日本語、読解力のレベルからすると使うべきではないかと感じてならない。
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