姫のように、なよなよした若君
おもに、四国の雄、長曾我部信親公に当てられる。
しかし、歴史的にみて
姫若とされるモノは成長すると雄、、いや非道な存在になることが多い。
同戦国時代でいえば
織田信長しかり
北条氏康しかり、
もっと古い時代は
源九郎判官義経もそれにあたる。
なぜだろうか?
その思いについて、僕は北条氏康から読み取れた。
姫若というほど眉目秀麗ではないが
なよなよした幼少期で
鉄砲の音で驚いて、失禁してしまった北条氏康。
でもその後、氏康傷という言葉まで作ってしまうほど武者になった。
理由は簡単だ。
あるべき価値観にそぐわないと揶揄された者の反骨精神と
既成概念に従わない機転の利いた行動ができるからだ。
あるべき男像を強要、揶揄されて溜まったフラストレーション
そのフラストレーションを与えた存在に対してへの自己打破を込めた躊躇ない仕打ち
が彼らを今に至らしめた。
氏康傷なんてものは
そのくらいじゃ命や後世に支障がないと判断で受けられる
氏康公の計算が読み取れる。
「武士として、、」
「男として、、、」
という既成概念を立てに相手を責めると
後の世では、旧時代の象徴、淘汰対象として処理されかねない。
既成概念のおごりは
その後に、下手をすると後世まで
蔑んだ者の引き立て役にされかねないということが歴史から学べる。
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