感動する気持ちについて、日本人は島国根性すぎる感がある。
つまり、ここのみんな感動するだろう!って思っていているみんなの前提が日本人であるということだ。
とある日本でヒットしたアクション映画が満を持してアメリカで上映された。
窮地において、愛する人に電話で元気に別れを告げるシーンがあるのだが、
日本人はグッとくるそうだが、
アメリカの試写会では爆笑の渦になったそうだ。
「主人公は最後に壊れたんだねえ、死にそうなのにわらったよ!」
とコメントされて、監督がかなり怒っていたというドキュメンタリーが記憶に残る。
感動は個人に帰属するものであり、
必ずしも共感されることはない、この前提を常に忘れてはならない。
だからこそ、他人の感動を卑下したり、自らの感動を他人に強要することは
争いの始まりにつながるリスクがあるといいたい。
感動するときに気持ちが昂ぶっている。
そう昂ぶっているということは冷静ではない。
その冷静でない思いを他人にぶつけるとギャップにより、いざこざになる。
感動するということはいいことといわれるが
フーディガンの前兆である事実を改めて自覚すべきだということを忘れずに。
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