2011-04-07

推敲

文章を何度も練り直すことである。

秒針月歩の世の中での情報の送受信のスピードが求められ
オンライン配信により訂正がかなり容易になってきている
現在の表現環境。

推敲する時間がなかなか認めれなくなっている。
僕とて、この文章を認めるにあたり十分な推敲をしているかと問われれば
十分の程度にもよるがまだまだといえる。

でも思う。
推敲は故事成語。
何度も練り直すことより、
何度もなりなおす行為で失態をした賈島と
それを詩論で問責外にした韓愈との出会いのほうが重要ではないだろうか?

何度も練り直すという行為より
何度も練り直すくらいの気持ちでいれば、思わぬ好機に恵まれる。
物事を真剣に悩んでいれば、結果思わぬ形で新しい道が開く
そう言う意味で推敲を用いればいいと思うが昨今。

言葉の意味なんて、時代と主に変わる、、変えられる。
推敲するという言葉が軽視されているならば
新たな意味を持たせ、伝えたいと思ってやまない。。いい表現が少ない現代社会ゆえに。

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