妖しく艶やか。
僕には縁遠い熟語なのだが、この言葉。
考え方によっては、ものすごく覚悟の決まった言葉だと感じる。
各種ミスコンテストの禁止等で人の美に対する偏見が
過剰、過敏になっているこの時代。
人と比べることは好ましくないという理由での禁止概念は
ある意味、統一規格の人間を量産し続けている一方で
個性とかゆとりとか論理矛盾を呼び出している。
妖艶であることの裏には
自分自身への美的探究と自信を持たないと
妖艶であり続けることはできない。
妖艶であると他人に言われること、自負する気持ちは
自己研鑽であり、それが個性につながるのではないかと言い切れる。
妖艶であり、仕草や行動が他の異性に対して
あらぬことをさせてしまうということを問題視するが
その妖艶さに対抗できない自我の弱さ、その才能と拮抗できる
自らの誇れる才能がないのだから、市場経済として
当然の報いではないかって思う。
妖艶を引合に出したが、
基本、自らの誇れる才能、自他共に自覚して
それで社会、市場に訴求させる覚悟を持って挑めない存在は
淘汰、生贄にされることもよしとすべきだ。
それが、市場経済、自然界のあるべきすがただ。
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